
日本の暮らしの言葉『昔の暦、月齢ごとの月の名前』〜長月の暮らし〜
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9月と言えばお月見です。中秋の名月といって、旧暦8月15日頃がこの日に当たります。カレンダーには月齢がついているタイプの物がありますが、それを見ると現在の暦では太陽の運行が基準となっているため、必ずしも毎月15日が満月になるわけではありません。
ところが旧暦だと毎月同じ数の日の月齢は大体同じ物になります。これは旧暦が月の運行を元にした太陰暦だからです。
毎月、同じ日に空を見上げると同じ月。月の満ち欠けで日付をみる
現代では空を見上げた時、その日の月齢がどの程度かわかる人はそう多くないかもしれません。けれど旧暦で生活していた頃の人であれば夜に空を見上げ、その月齢で今が何日か知る事が出来たそうです。細い月をよく「三日月」と言いますが、実際の三日月は新月から三日目の本当に細い月の事を言います。まだ「若い月」という意味で「若月」と言う事もあったそうです。新月を表す言葉の「朔(さく)」と書いて「ついたち」とも読みますが、その日から月がまた満ち始める日を暦の月の初日に当てているからです。
その後は7、8日頃の上限の月を「弓張月(ゆみはりづき)」、13日目が「十三夜(じゅうさんや)」、14日は「待宵(まつよい)」と呼ばれていました。月は満ち始めて15日ほどで満月となります。そのためお月見の夜の事を「十五夜」とも呼ぶのですね。
※現代の天文学上の定義では旧暦の15日は満月にやや満たない事もあります。
月の形のイメージとして「三日月」「十五夜」という言葉は今も意味が通じますので、「今も生きている言葉」と言えるかもしれません。もちろんこの2つの他にも月の満ち欠けに関する名称はたくさん使われていました。
月は「待つ物」。ゆったりと暮らしていた過去の日本人
最近ではあまり使われなくなってしまっていますが、満月の次の日が「十六夜(いざよい)」、十七日目の夜が「立待月(たちまちづき)」、18日が「居待月(いまちづき)」19日が「臥待月(ふしまちづき)」20日が「更待月(ふけまちづき)」という名前になります。この名前の面白い所は満月の15日を過ぎて次第に月の出が遅くなる事がわかる所です。
17日の立待月は月が出るのを戸口に立って待ち、居待月は腰を落ち着けて「居待つ」必要があり、臥待月は寝床に「臥せる」時間まで月の出を待たなければならず更待月は一寝入りした夜更けを待って昇る、という月の出のタイミングが表現されています。
この一連の表現にはかつての日本人の暮らし方が現われているような気がします。というのも、「月は待つ物」という思いがこの満ち欠けの表現から伝わって来ないでしょうか?今は旧暦と呼ばれる日本の暦は月の運行と共に自然と向き合って暮らすための物でした。自然は人間の都合に合わせてくれません。「待つ」時間があるのが当たり前だったのです。
比較的最近まではまだ、「待つ」事は暮らしの一部でした。連絡のための主だった手段は手紙やはがきで、送ってから届くまで、またその返事が返るまでに「待つ」のが当たり前。約束はあらかじめ決めた時間と場所で「待ち合わせる」物でした。
それが今となっては通信手段や流通の発達から、連絡も配送も「待たない」「待たせない」事が当たり前のようになっています。そんな風に「待つ」必要がなくなった事で時間にゆとりが出来たかといえばそうではなく、逆に何かに追い立てられているように感じる事さえあります。「時間を有効に使う」と言えば聞こえはいいのですが、逆に「時間を上手く使わなければ」という思い込みで心の余裕を失っていないでしょうか。
文化において大切にされている物ほど言葉は細分化されて行きます。月の名前が細やかに名付けられている事から、私達のご先祖達は月を大切に思って見上げていた事が伺い知れます。慌ただしい日々の中、せめて季節の行事の時だけでも月が昇るのを待ってゆっくりとその姿を愛でたい物ですね。
記事/ケノコト編集部
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