
作り手の愛情を感じられる身近なコト 台所と音と香り
トントントン
かちゃかちゃ
ざざぁ~っ…
きゅっ。
「ごはんよ~」「は~い」
子どもの頃、あたりまえに思っていた日常の風景。
大人になり、家族のために台所をあずかるようになり、いつしかその記憶は薄れていきました。
ごはんは作ってもらうものではなく、作ってあげるもの。毎食何を作ろうか考え、時間までに作ることに追われ、バタバタと食べて、片づけて、また作って、片づけて。
音に気をつけるゆとりなんて、なくなっていたのかもしれません。
子育てが一段落して働き始めた今、ご縁あって料理の会社を営む社長にお世話になっています。
撮影やレシピ作り。日々社長の作る料理をそばに感じながら過ごす中で、台所から聞こえる音、そして香りに触れる幸せが、ふっと心によみがえってきました。
ああそうだ、台所には、音があるんだ。
子どもの頃感じた幸せはそのままに。
けれど、今はまた少しちがった感覚で。なぜなら今は、「作る人」の労と思いがわかるから。
洗う、切る、たたく、煮る、焼く、揚げる…
ひとつひとつの音の軽やかさ。
音に隠れている、作り手のあたたかさ。
音や香りとともに流れてくる、やさしい空気。
子どもの頃、あたりまえに思っていた風景は、幸せの音。
台所に立つ人からもらった愛情だったのだと、今さらながら気づいたのでした。
ごはんを作ってもらっていた頃。
ごはんを家で食べなくなっていった頃。
家族よりも、友達と過ごす時間の方が素敵に思えた頃。
ある日突然、台所をあずかることになって、何もできない自分に途方に暮れたこと。
父のために、母のために、妹のために作ることが、大変ながらも楽しかったこと。
振り返れば、食の風景は人生の中でさまざまに変化しましたが。
そこに台所の音があった時、苦しいことも乗り越えられていた気がします。
ひとり外国に暮らした時も、自分が台所に立つことでバランスをとっていたものです。
手軽に外ですませることが続くと、心のどこかが必ず傾いたのを覚えています。
無意識のうちに、作る時間に自分自身が癒されていたのかもしれません。
家族のためにも、自分のためにも、作ることはやっぱり大切。
作る音と香りは、家庭料理ならではの幸せ。
トントントン… かちゃかちゃ… ざざぁ~っ… きゅっ。
子どもたちは、夫は、友達は、どんな気持ちで聞いているだろう。
食卓につく前の1コマにも大切な意味があると気づいた今。
優しい音と香りの立つ台所をめざしてみようかな、と思います。
日々の私への反省と、大切なことに気づかせてくれた社長への感謝を込めて。
台所の音を、子どもたちが大人になった時、幸せの光景としてふと思い出してくれることを願いつつ。
文/olive&olive 長野京子
olive&oliveホームページ
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